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東京大空襲 60年前の悲しき悲劇

 この記事を書いている時刻のちょうど60年前は東京の本所深川をはじめとする下町が米軍の前代未聞の焦土作戦によって大被害を屠っているときです。後に第二次世界大戦中最高の民間人の殺傷を目的とした作戦であり、悲劇ともいえる東京大空襲です。

 この空襲以前にも東京を始めとする日本本土の各地はすでに制空権を奪われる形で連合軍による空爆が繰り返されており、沖縄県にいたっては本土決戦の先駆けの様になってしまいました。いわば日本本土の盾となってしまったわけです。沖縄は事実上戦場となり、東京を始めとする各都市は空襲の強勢にさらされ、これは戦乱が昭和19年のレイテ沖、マリアナ沖、台湾沖の海戦、及び航空戦で事実上制海権、制空権を損失したことにより本土にまで迫りくる形となってしまいました。

 しかし、米軍は日本本土を空襲するときは最初は支那大陸やインドから飛ばしていましたが、これは航続距離の問題で後にサイパン、グアム、テニアンからの攻撃に変更しています。そして、爆撃も工場を目的とした高高度による爆撃を行いましたが本土上空の気流は激しく目標に投下できなかったために効果は想像を下回る結果となってしまったということです。もちろん、日本本土ではそれが大問題となっていることに変わりはありませんでしたが。
 
 そこで、戦果が上がらぬことを理由に(焦土作戦に戦略航空団の司令官が反対していたためとする説があり)、グアムの第21戦略航空団の前司令官が更迭され、新司令官がカーチス・E・ルメイ少将に代わると作戦も昼間の高高度爆撃から夜間爆撃へと変更されます。まず、日本の関東付近では強風がよく吹くことと、日本の民家が燃えやすい木造であったことを理由に通常爆弾から焼夷弾、いわば付近を焼き払う目的でM69焼夷弾の使用を開始しました。これを日本家屋に似せて作った建物(ちゃぶ台など、日本の家具まで用意されていた)でその効果を実験してから使用したとの事です。

 米軍はそれまでの航空偵察写真などで目標を東京西部(現在の墨田区、江東区、台東区)と決定し、3月9日に結構しました。このとき、防衛用の対空機銃を下ろし、かわりに通常搭載する倍の量となる焼夷弾を搭載してB-29を出撃させています。そして、この作戦というのはまず、風が強いこの日の午前0時に目標の東西5キロ、南北6キロに焼夷弾を投下して民間人の逃げ道を塞ぎ、そしてその中心に午前2時までに焼夷弾を集中投下するというまさに、民間人の殺傷を前提とする作戦となりました。

 逃げ惑う民間人は荒れ狂う炎によって生きながら焼かれ、川や、運河に飛び込んで逃げ込む者も強風に運ばれた灼熱の炎に晒された水面上の炎熱によって頭部を焼かれて死に、コンクリート製の校舎に逃げ込む者もこの空襲によって発生した凄まじき炎熱によって苦しんだ挙句に死に、このように多くの民間人が死んでいきました。ある者は親類を、ある者は財産を、ある者はその両方をこの灼熱地獄の中で失い、残るのは焼け野原とその野原を、そして河川を埋め尽くす、灼熱地獄の中で生きながらに焼かれて死に絶えた無数の焼死体であり、生き残った人々は只、それらを見つめるだけでした。この空襲の犠牲によって亡くなられた者の遺体の多くは後に無縁仏として一箇所に埋葬されることとなりましたが、戦後、掘り起こされては火葬され、再埋葬されて現在に至ります。
 
 作戦参加機数は344機、使用焼夷弾2000トンであり、これは一平方メートルに3発の焼夷弾が投下された計算となる。東京都の被害はおよそ10万人の死者をはじめ、負傷者は11万4千人、焼失家屋は約27万戸であり、40km平方メートルが焦土と化し、これは東京都の3分の1が焼け野原となったことになる。

 これ以前にも爆撃によって民間人の死傷者は続出していましたし、偵察?の傍ら投下した爆弾によって民間人が死亡、あるいは行方不明になったという惨劇も繰り返されておりましたが、作戦上、これほど民間人の殺傷を前提として行った作戦は20世紀ではまず、みられません。近代兵器と軍組織という「文明」を極限までに使用した上での「テロリズム」とはまさにこのことではないのかと思います。日本政府のこの惨劇を目の当たりにして米政府宛にスイスを通して国際法違反である目、抗議を行いましたが米政府からはまったく返答がなかったとのことです。
 
 このような空襲を生き残った民間人をはじめとする、日本中に米軍への恐怖がつのり、特攻、玉砕、そして本土決戦への気運がよりいっそう高まることとなったことは言うまでもありません。事実、昭和20年8月の日本軍の降伏と、その年の9月から始まった占領軍の上陸に対して開放感よりも恐怖感、絶望感を多くの日本人がかみ締めていたとのことです。
 
 通常、このような作戦は軍法会議、いや、戦争犯罪として国際法の下で裁かれなければならなかったのですが、悲しいかな、戦後の極東裁判自体、国際法をまったく無視した戦勝国の私刑による魔女裁判そのものであり、占領自体も軍隊の無条件降伏による、国家の条件付降伏を無視してこれまた国際法を無視した不法占領であり、占領期間、米軍のこの行為に関する報道、および著作の出版は禁じられ、それを裏付ける資料の発表ももちろん、禁じられました。しかもこれは悪質なことに国民に対して禁じられていることを知られないために事前修正を行う形で行われておりましたので、国民にその悲劇を語り継ぐ術は占領軍により、完全に閉ざされてしまいました。

 結果は当然のとおり、これら空襲に関与した関係者はまったく裁かれず、また、米国も責任は当然果たさず、代わりに多くの無実であった日本人がろくに取り調べもなされずに処刑、抑留させられる形となりました。

 そして、現在、日本人は大空襲の加害を米軍によるものではなく、戦争そのものに向けているようですが、これは悲劇を語る上では間違っています。事実、戦争は悲惨ですが、その悲惨を招いた加害者に対してなにも追及しないのであればその惨劇はまた、なんらかの形で繰り返されるだけか、風化してしまうだけです。その一例として、戦後に東京大空襲を提案し、実行したカーチス・E・ルメイはその後、反省も謝罪も行わずに逆にノーベル平和賞の受賞者である当時の首相、佐藤栄作から勲一等旭日大綬章を贈られると言う茶番が行われました。

 このような茶番と惨劇を風化させないために、そして史実を語り継ぐためにも戦争そのものに全ての責任を突きつけるという行為は止め、これら空襲でのわが国の犠牲者、戦没者への真の冥福を心から国が祈れる時期を望みましょう。

参考文献、URL

東京大空襲
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm

http://www.qmss.jp/qmss/biography/tokyo-dai-kushu.htm

小林よしのり著 戦争論

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「憂国、国防関連」カテゴリの記事

Comments

リンクさせていただきました。ありがとうございます。

Posted by: Kansas | March 11, 2005 at 08:40 AM

はじめまして、岡枝と申します。同じく東京大空襲について少しばかり自ログに書いてみました。その後、他にもこの史実について触れられている方を探し求めてこちらに辿り着きました。

‘そして、現在、日本人は大空襲の加害を米軍によるものではなく、戦争そのものに向けているようですが、これは悲劇を語る上では間違っています。’
↑その通りですね。そうした筑紫某的なノリにはもう、うんざりです。今更憎んでも、恨んでも意味がありませんが、しかし正当な批判は堂々と米国に対して行うべきかと思います。

共感できますログを有難うございました。
私の方のログからも後ほど、リンク&TBさせて頂きます。今後も宜しくお願いいたします。

Posted by: 岡枝佳葉 | March 11, 2005 at 04:52 PM

岡枝さん

はじめまして、水産大国と申します。

 トラックバック、およびブログでのご紹介ありがとうございますm(__)m。ブログを読みました。あの空襲は空襲に直接被害にあった方々だけではなく、それを遠くから見ていた方々にも耐え難い恐怖感を与えていたことをはじめて知りました。

 真珠湾は軍事施設に限りなく限定されていた攻撃でしたので、民間人の犠牲は米軍による誤射を除いて皆無でしたし、付近の住宅から真珠湾の攻撃を眺めていたという証言まで残っております。それに比べて東京大空襲は民間人への殺傷が目的ですので作戦からしてそもそも異なっているのですよね。

 加害者がいるのは史実ですしそれについて触れようとしなければ惨劇を偏った形で伝えているも同然ですし、これについて米国が反省も責任も果たしていないという事実があれば批判は行っても当然の行為だと思います。

Kansasさん

 はじめまして。ブログを読みました。そしてご紹介をわざわざありがとうございます。「ガラスのうさぎ」は是非、「おしん」や「プロジェクトX」と同じく、中東やアフガンをはじめとする世界に「負の遺産」として出版、上映してほしいものだと思いますが、それ以前に国内でも問題が発生しているようですね。

 「ガラスのうさぎ」の作者である高木敏子さんの娘さんが敏子さんのお孫さんに読ませたところ、お孫さんが当時の状況を理解できず、娘さんにも当時の状況が上手く説明できないほどにあの惨劇が日本国内においても風化してしまったためにアニメ化を決定したということを聞きました。

痛ましい現実の上でのアニメ化だと私は思います。史実を史実として教えてこなかったためにこの惨劇は米国はおろか、日本にも伝わっていないのではないかと思います。

風化があまりにも進み過ぎている一方、米国では当時の関係者の大半が東京大空襲も原爆と同じく「犠牲も余計に出さずに戦争の終結を早めた」として肯定していると聞きました。これが事実ならば、やはり史実を見つめることがないままに彼らの言う「文明」の元に、現在のアフガンやイラクでもテロリズムが繰り返されているのだと、現在の情勢をみれば、思えてなりません。史実を追求しないその代償がいまも繰り返されているのだと深く考えます。

Posted by: 水産大国 | March 11, 2005 at 08:33 PM

辰乃です。

「3月10日」、この日は私も忘れることは出来ません。
なぜなら、私の亡き母は昭和15年(1940年)東京・浅草で生まれまして、母が4~5歳のときに、

「東京大空襲」

というアメリカ軍が犯した非道なる戦争犯罪によってあやうく命を落とすところだったのです。
当時の母はまだ幼い子供でしたから、空襲時に私の祖母におんぶされながら何とか防空壕に逃げ込む事が出来たため、一命を取り留めることが出来ました。
つまり、私の母(及びその家族)は、

「アメリカ軍によって殺されそうになった(一般の犯罪では『殺人未遂』に相当)」

わけです。
私は、この米軍の蛮行を絶対に許すことが出来ません。
なぜなら、

・この戦争犯罪(戦時国際法違反)が、戦争犯罪法廷にて裁かれていないこと。
※軍隊が民間人や非戦闘員を殺傷・虐殺することは戦時国際法により禁止されています。(当時も今もそうです。)
・アメリカ大統領&政府&軍が公式の場で謝罪をしていないこと。

からです。
ですから、私も、

「日本&日本人は、この東京大空襲という惨事を絶対に風化してはいけない」

と思います。
こんなことを書いたり言ったりすれば、必ず誰かが、

「今から60年前の過去のことなんだから、『水に流す』ほうがよいのではないか」

とか言う奴が出てきますが、とんでもない!
第一、アメリカは未だに、

「リメンバー・パール・ハーバー!!」

なんてことをほざいているではないですか。
しかも、ハリウッド映画「パール・ハーバー」何てものを作って上映する始末…。
これでは、こちらが許すわけにはいかないではないですか。

ですから、私は、この「3月10日」も「日本国民の記念日」として指定した方が良いと考えます。
米軍によって、広島や長崎に原爆が投下された「8月6日」や「8月9日」も「国民の記念日」として指定されているように。

最後に、この東京大空襲によって、そして、広島・長崎への原爆投下によって尊い命を落とした方々に対してお悔やみ申し上げます。

Posted by: 辰乃与太郎 | March 12, 2005 at 05:48 PM

なぬ?たっつぁんのお母様、およびばあちゃんと家のばあちゃんとは近所だったのですか?世の中狭いものですな(^^;)

案外、たっつぁんのばあちゃん、お母様と家のばあちゃんが同じ魚屋とか肉屋とかで顔あわせてはおやつのコロッケや献立の秋刀魚を買っていたりして(^^;)。

>「今から60年前の過去のことなんだから、『水>に流す』ほうがよいのではないか」
>とか言う奴が出てきますが、とんでもない!

とんでもないどころか、あの当時を思い出して悲しみに暮れる遺族がこのようなことを聞いたら激怒するでしょうし、私でしたらその人に家に焼夷弾をばら撒きに・・おっと失礼、これは立派なテロ行為ですな(^^;)

>「アメリカ軍によって殺されそうになった(一般の犯罪では『殺人未遂』に相当)」

このほかに「傷害罪、放火、家屋破壊、殺人」など、犯罪を挙げれば間違いなく「死刑」ですな。

>「リメンバー・パール・ハーバー!!」
>ハリウッド映画「パール・ハーバー」何てものを>作って上映する始末…。

これをつくったのがあのディズニーですが、ディズニー・シー、ディズニーランドの日本人の人気は衰えるところなし(--;)これではだめだと思うのは私だけではないはず・・。

この空襲をはじめとする、米軍の「テロリズム」によって亡くなられた犠牲者に対してご冥福を祈りましょう。

ちなみに、3月10日は日露戦争で奉天が陥落した日でもあり、陸軍記念日でもありました。こちらはちょうど100周年なのに、まったく取り上げられないのは私としては残念でなりません(TT)

Posted by: 水産大国 | March 13, 2005 at 03:44 AM

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