日本人が勤勉なのは日本流の稲作があったからだと・・・
一応、またご隠居さんのブログを読みました。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E1570065446/index.html
そんなに日本の稲作を日本文化と切り離したいのでしょうか。私は稲作こそが日本文化の源流にもなっていると思うのですが。
実は、伊勢神宮に作農さんらと訪れたときに、彼が面白い本を紹介させてくれました。タイトルは忘れてしまいましたが、日本の稲作業について取り上げた本でした。
日本の川は流れが速く(幕末に西洋人が拝見したところ「鉄砲水」と言ったそうです)その川から水を流しいれてはためて水田を作り、稲を育ててきたのですよね。川の流れを変えるというより、川の力を借りる形で水田を作り、稲作業を行ってきたそうですね。
一方、紹介された書物によりますと、他のアジアの国では米を作るには大河をそのまま利用しているのだそうです。大河は流れが遅く、なかには馬鹿でかい水溜りのようなところもあるので、そこを稲作場として利用するのだそうです。日本と違い、貯水、注水などの工夫をせずに全てそのような場所などに稲を植えつけるなり、種をまくなりしてあとは大河の流れに任せているそうです。よって、米の収穫はすべて大河の流れに任せるという運任せの稲作業を行っているということです。このためか、米の収穫量も質も思うようにあがらず、その結果米は今でも高級品なのだそうです。
これに比べると日本の場合は、川の流れが速い上に川が自然と水田に適した場所を作ってくれないのか直接これを利用せずに、外部から流れる水を取り入れて水量を調節し、人選的に水田を作る形となりました。この結果、水量や面積などは人々が直接調節せねばならず、稲に適した環境を作り上げるために思考誤差を繰り返し、収穫量をあげて米の質を上げていったわけです。大河を直接利用する東南アジアの国々では、大河の流れが遅く、流れを調節するのが難しいのか、日本のような水田を作っても頻繁に急変する天候とそれ従って急変する大河の流れとその水量によって破壊されてしまうとのことでした。日本でも洪水はおこりますが、海の潮流のような激しい変化が川では起りません。しかし、大河になるとこれが頻繁に起こるということです。
よって東南アジア稲作が運任せであるのに対し、日本の稲作は努力しだいで良質にもなり、豊作にもなるという違いがあり、このけっか、日本は稲作を基盤として、他の分野に対しても勤勉で努力をする民族として育ったのでしょうな。働くことに美徳を感じるようになったのもわかります。東南アジアと日本の稲作の違いを見れば、「稲作がなくなれば日本人は勤勉でなくなる」というのもそういう意味ではあたっているわけなのです。
ご隠居さん、「縄文時代には水田はなかった」って言いますが、水田稲作はありました。ただし、それは自然にできた水溜りを利用した水田であって現在のように水量を調節して作る水田ではなかったということです。これは扶桑社出版の中学校用の歴史教科書、「新しい歴史教科書」にも書いてあるのですが、ご隠居さん、農業を語るのはいいにしてもこれからの中学生がこれを聞いたら大人としてちょっと気まずいのでは・・・
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Comments
日本でわざわざ作りにくいコシヒカリや山田錦を作ってるのは、日本人が味を重視してるからなんですよね。
ご隠居は米の味には興味ないんだろうか。
Posted by: 中村泰造 | September 02, 2004 at 07:06 AM
日本のコシヒカリや山田錦も、「自ら水田を作る」という日本の勤勉と努力が大きく起因する稲作業の文化が作り出したものと考えています。
ジャーナリストの大高美貴 著 「シルクロードがむしゃら紀行」新潮社出版 によるところ、支那人(中国人)が日本に来ると土産に米を買っていくそうな。なぜなら日本の米は地元のに比べると「宝石」のようで「美味しい」と。アジア人一般の声なき声には日本の米の世界的価値も見られるので、日本の米をいただくのなら誇りを持っていただきましょう。
Posted by: 水産大国 | September 02, 2004 at 02:17 PM